Ph+ALL日記

フィラデルフィア染色体陽性白血病と闘うIT労働者の記録

骨髄検査の結果→再移植への道筋

骨髄検査の結果が出た。予想外に良くてBCR-ABLを検知するPCR検査では白血病細胞のコピーが何個か見つかるものの、FISH検査では検出限界±程度とのことである。この1ヶ月の治療が功を奏したということかな。幸運をありがとう。

さて、この1ヶ月ちょいの入院で、生き残るには移植をするしかないと覚悟を決めた。今回得られる寛解を使って、2回目の造血幹細胞移植に臨むことにした。

再移植に向けてのプロセス

初回の移植では、全身に放射線X線)12Gy(グレイ)を2日間にわたって照射するTotal Body Irradiation (TBI) を受け、エンドキサンという抗がん剤を使い、その後臍帯血を輸血した。

今回は何をするのだろう。担当医に聞いてみた。

  • 放射線照射を4Gy照射する
  • 2種類くらいの抗がん剤を投与する(まだ具体的に何を使うか決まっていない)
  • 臍帯血移植を行う

これを2週間くらいの間にやってしまう。移植ができる曜日が決まっているので、他の患者さんの状況と調整して、その日を定め、逆算して他の2点の日時を決定する。うまくいけば移植後2週間くらいで生着して、3ヶ月後くらいには退院できる。まあ、どこかでうまくいかなかった時には(棺桶に入ってかもしれないが)退院できるだろうので、退院できるという点では同じ。

もう今回の入院でやることは無くなったので、一旦退院して身辺整理をする時間がもらえそうだ。

 

この一時退院期間中にやらなければいけないことってなんだろう。

  • かかりつけの歯医者で歯科検診を受ける(これは担当医からの指示)
  • 会社の上司・部下に伝えて、仕事に支障がないようにする。(この世は誰がいなくなったって回る様にできている。伝えれば良いだけだ)
  • 会社の人事と相談して、今後のコースを知らせておく。気になるのは休職可能期間(有給の期間と無給の期間があるのだが)があと何日残っているのか。それを過ぎたらどうなるのか。
  • PC, スマホのソフトウェアのアップデート(病院からだとギガが嵩むし遅いから)
  • スマホの音楽のシンク(今回の入院前にやらなかったから)
  • クリーンルームで必要な物品の購入(衣服は業者が1週間分をまとめてクリーニングしてくれる。水曜に回収に来て、月曜日に返ってくる。ってことは2週間分あれば絶対足りる)
  • シャットダウンプロセスがうまく動かなかった時のために、紙の手紙でも用意して残しておくか。どこに置いておくかが問題だな。のちに発見されるが、当分は見つからない場所にしなければならない。

そんなことより、家族で過ごすせるわずかな時間がありがたい。

家族の新型コロナ感染

若干時間が前に戻るのだが、少し以前に小学6年の息子が学校でコロナにかかってしまった。家に帰ってきて寒気がすると言い出して、測ったら熱があったらしい。最近子供の感染者が増えている。クラスに感染者が出ても、学校を閉めなくなったため、ある意味当然だ。社会はこれを受け入れることにしたのだ。

妻は明らかに濃厚接触者だが、娘は近くだが別に住んでいる。両者ともPCRを受け陰性で安心した。妻と息子は家庭内隔離だ。もともと同じ寝室で寝ていたが、息子は寝室だけで24時間過ごす。テレビもあるし、ネットフリックスも見れるし、パソコンを持ち込んでオンライン授業にも出られる。そろばん教室にも出席できて、これまでになんでもオンライン化が進んだので、リモートで継続できる。不自由はないかな。

息子が発熱する前日に学校からクラスでコロナ陽性者が出たとのメールが届いていた。ということは息子は学校で罹ってきた。学校内での感染が疑われるときは、学級閉鎖となる決まりだ。学校に連絡。ただ、都の決まりだか学校の決まりで、症状が発症した最初の日かPCR陽性になった日から、10日間自宅待機をすれば11日目から登校できるそうだ。息子の症状は微熱があるだけ。2〜3日は学級全体がリモート授業となり、その後は平常運転に戻った。幸いすぐに息子の症状は完全に消えて、残る心配事は10日間登校できなずに授業に遅れることだけになった。

そういう状況が数日続いたあと、いよいよ私の移植前の一時退院の話が出てきたというタイミングで、なんと妻が発熱。翌日PCRを受診したところコロナ陽性であった。まいった、妻も中年以上なので息子の様に軽微で済むとは限らない。重篤化しなかったとしても、コロナ汚染地帯となった自宅には戻れず、かと言って退院しないで移植を迎えるには準備ができない。時々の接触が避けられない娘がいずれ感染するリスクも考慮に入れたほうが良さそうだ。陽性が判った翌日から、妻は隔離施設となっているビジネスホテルに収監されることが決まった。幸い症状は喉の痛みと37°台の熱だけで、悪くなりそうな様子はない。隔離期間中であっても家に帰ることだけはできそうだ。

 

整理すると、2ビット四通りの可能性がある。妻がすんなり治って私の退院に間に合うか・長引いて間に合わないかの1ビット2通り。娘に伝染して娘に頼れなくなるか・どうかの1ビット2通り。(いつというファクターを忘れると)この組み合わせ4通りなので、それぞれのケースでシミュレーションしてみる。

ここには詳細は書かないが、意外にもなんとかなることが判明。最悪のケースでも3泊4日くらい私がどこかのホテルに退避すれば良いことが判った。

 

これ以上事態が悪化しない様に祈る。

 

 

 

 

 

 

薬疹が出た!

白血病の治療を5〜6年続けてきて、いろんな副作用に遭遇して、治療の本筋をまっすぐ通ることができず、廻り道をしなければならないと感じることが多い。

私の場合、過去に感染防止の薬であるバクタ配合錠で高熱を出しているし、アイクルシグで胸痛を起こしている。あ、もっと重篤な副作用を思い出した。抗がん剤の影響で脳がやられて小脳性運動失調症を発症したんだった。

そう言えば、これらのお陰で最初の治療期間が大きく伸びてしまって、結局最初の入院から移植を終えて退院するまでに256日もかかってしまったんだった。

皮疹が尻に出る

さて次は何かな、何もないといいなと、当然思っているわけです。プレドニンとアイクルシグはどちらも過去に飲んでいた薬で、アイクルシグが起こした胸痛は心配な副作用だったんだけど、だんだん慣れてきたのか、あまり起きなくなっていた。そういう意味ではCVを繋がれて24時間点滴を受けてはいるが、あとは服薬のみなのでとても楽な治療だった。

ある日、椅子に座っていたらお尻のほっぺた部分に痒みを感じ始めた。プレドニン服用のせいもあって、肌が乾燥しやすくなっていて乾燥肌は痒くなる。現在進行中の新型コロナウィルスのパンデミックでずっとリモート勤務だから、入院中にもかかわらず仕事は休まず病室から働くことができていた。だから日中は電話会議に出たり、パソコンで作業したりしてずっと病室やラウンジに座ってきた。そういうこともあって、乾燥した尻が痒いんだと思い、気にもしておらず、保湿剤ヒルロイドローションやヒルロイドソフト軟膏を乾燥した部分に塗っていて、尻のほっぺた部分にも塗ることにした。

今回の入院から1ヶ月経って、これまでの治療の成果を確認するために、骨髄検査(しばしばマルクと呼ばれている)を行った。その際、骨盤に針を刺して穴を開けて、骨の中の骨髄を採取するのだが、そのためにお尻を半分出して処置をする。そのお尻を見た医師が皮疹が出ていることに気づいてくれた。「なんで早く言ってくれないの。」そう言われても、「困ってなかったから。」「お尻は自分で見えないし。」

この病院は皮膚科の先生が常駐していない。月に1・2度外の先生が来て皮膚科が開く日があるので、次のタイミングを待ってみてもらうことになる。

 

薬のせいで皮疹が出る場合、左右対称の部位に出ることが多いそうだ。今回も尻のほっぺた部分の両側に対称に赤くなっている。それが上下に広がっている感じだ。体の後ろ側なので自分で見えず気がつくのが遅れた。肌が乾燥してきたのか、触ってざらざらしてどうにかなっていることだけは、判るようになってきた。つまり、時間と共に悪化している。

さて、これが薬の副作用により引き起こされた皮疹(=薬疹)だとすると、決められた程度を超えると、薬を中止しなければならない。ステロイドはアレルギー止の薬なので、これが原因とは考えにくい。もしアイクルシグが原因薬剤だった場合、これしか病気への有効性の高い薬がないので、寛解に向かう道筋がなくなってしまう。だから今止めるわけにはいかない。しかし冷静に考えると、従来15mg/日だった容量を倍の30mg/日に上げていることから、アイクルシグが原因であることも十分考えられる。他の薬は大体過去に飲んでいるし、服用量も変わっていない。ということで、アイクルシグを止めるわけにはいかないが、このまま薬疹が広がって服用不可になると困るので、半量の15mg/日に減量することとなった。

 

皮疹の箇所はその後広がって、両脇、両肘、うち腿、両足のふくらはぎが、程度の違いはあれ赤くなった。ただ痒みがあるのはお尻だけ。

皮膚科受診

ということで、時々来る皮膚科の先生が病院に来た日に受診。皮疹を見た瞬間に「薬疹です。」

さて、どの薬が原因なのか。どうやってそれを見出すのだろう。ほとんどの薬で副作用に発疹と書かれているので、すべてが候補だ。皮膚科の医師はどう分析するのだろうと興味深く眺めていたら、どうも服用を始めた時期と発疹の発生した時期を見ているようだ。私が飲んだ薬の履歴を全部印刷。原因物質を服用してから皮疹が出るまでの時間を考慮して、それで私の場合の時期と照合しているみたいだ。処方されていてもスキップ可能とされている薬(便秘用の酸化マグネシウムプルゼニド睡眠導入剤マイスリー)などがあるので、入院していても皮膚科の医師が全情報を持っているわけではないみたいだ。毎日看護師さんが何飲んだか把握しているはずなので、情報はどこかに存在するはずなんですが、私に「これいつから飲みました?」と聞かれる。「薬袋に書いてあるけど、手元にはありません。」「多分、X日前からです。」

結局疑わしい薬は、やめられない「アイクルシグ」、コレステロールのコントロールに使っている「メバロチン」、眠れない日(ほとんど毎日)に飲んでいる「マイスリー」ってことになった。

結論はというと、現在の発疹の程度ならアイクルシグの継続服用が可能。ただ、他の薬(メバロチンマイスリー)は他の機序の薬と変更になった。具体的には、メバロチンが一旦「エゼチミブ」になってまた「リピトール錠」に変更(他の薬との相性が良いものに変えたらしい)、マイスリーは「レンドルミン」に変わった。これはまだ飲んでない。

夜になっても眠たくならず寝られる気がしないのだが、実際横になって静かになると、しばらくして眠れているようだ。寝られない時の対処法は、寝なくていいってことで乗り切ろう。

その後の経過

その後数日経って、最初に出たお尻の発疹は治りつつあり、一方で少し遅れて現れたふくらはぎの赤みは少し増している。他の部分は横ばいか若干改善傾向にある。

 

ビーリンサイトを諦めた後の次の治療

前回、ビーリンサイトが効かなかったことが判明しました。次はアイクルシグ(ポナチニブ)一択だと思ってたら、だいたいその通り。アイクルシグとプレドニン(プレドニソロン)の服薬治療で、どこまで寛解に迫れるかやってみることになりました。

アイクルシグ

アイクルシグ(ポナチニブ)ははチロシンキナーゼ阻害薬(TKI)の一種で、これまで何回か触れてきました。一般的な性質は、過去の記事を参照するかWikipediaを見てください。

ja.wikipedia.org

私は過去にこの薬を飲んできたのですが、薬疹が首の後ろに出たのと、心臓の調子が悪くなるという副作用を感じたことがあるので、投薬には注意が必要と考えられています。そこで、通常量(1日30mg)の半量15mgから始めることにしました。またこの薬は一般的に、血栓ができやすくなることが知られています。このため、点滴で血液をサラサラにするためにヘパリンを常時点滴してこのリスクを下げます。2週間ほど半量にして常時心電計で監視されながら開始となりました。

その後、エコー検査、ホルター心電図などのいろんな検査を受けましたたが、どれも問題がなかったので、結局、通常量の30mgに増量することにしました。これが効いてもらわないと困るのでね。

プレドニン

プレドニンは所謂ステロイドです。ステロイドと聞くとスポーツのドーピングだったり、アレルギーどめだったりを連想しますが、成人白血病治療共同研究機構の解説から引用すると、

副腎皮質ホルモンであるプレドニソロン(プレドニン)は、急性リンパ性白血病の第一次選択薬としてよく用いられています。リンパ球やリンパ系腫瘍細胞に対し、アポトーシス (計画細胞死) を誘導し、細胞融解作用を示します。副作用は糖尿病やクッシング症候群や免疫不全症などです。

のように急性リンパ性白血病では最初に使われる薬です。私も5年前に発症した際に最初に飲んだ薬です。この解説を私が解釈すると、白血病細胞であれ正常細胞であれ、プレドニンを(実は大量に)服用すると、白血球が勝手に死んでくれるらしいのです。

ステロイドを大量にしかも長期間飲むと重篤副作用が出ます。まず元気になります。体のどこかに不調があっても、ほとんど消えてしまいます。良いことのように思うかもしれませんが、体のどこかで深刻なことが起こっていても気がつかないので、手遅れになってしまいます。他にもいくつか主な副作用を列挙すると、まずは感染症のリスクが高まる。骨粗鬆症になる。動脈硬化心筋梗塞脳梗塞。これらは生死に関わります。見た目にわかりやすい反応としては、顔が紅潮して、ムーンフェイスになる。皮膚が薄くなって弛み、赤切れになりやすくなって、場所によっては色素が沈着する。食欲が増進して食べ過ぎて太る(糖尿病を持っていると、これも危険)。不眠になる。他にもあるかも。

実際、実感として食欲が増します。病院食は味が薄く、しかも私の場合(初回の治療で腎臓を壊したため)タンパク質の量が制限されて、正直言って劇マズなのですが、毎食むしゃむしゃ完食です。まあこれは良いことなのかもしれません。

不眠

深夜遅くなっても元気なので、ついつい仕事をしてしまって、寝付けなくなりました。それで、副作用対策としてあらかじめ処方してもらっていた睡眠導入剤マイスリーを、飲んで寝ることにしました。

高脂血症

入院中は週に2〜3回血液検査で変なことが起きていないかチェックしています。それが入院前に比べてLDL-コレステロールの値が急増してしました。病院食を食べててコレステロールが高いわけがないので、食事のせいではなくて、これもステロイドの副作用であると考えられます。このためコレステロールを抑える薬メバロチンを副作用留めとして併用することになりました。

 

このように、結局以下の薬の服用を入院しながら続けます。

  • アイクルシグ30mg/日(昼食後)
  • プレドニン 70mg/日(朝食後と昼食後に半量ずつ)
  • ゾビラックス 200mg/日(朝食後)
  • ニューロタン 25mg/日(朝食後)
  • ランソプラゾール 15mg/日(朝食後)
  • ジフルカンカプセル 100mg/日(朝食後)
  • メバロチン 20mg/日(朝食後と夕食後)

メバロチン以外は、通院治療していた時に飲んでいた薬と同じなので、入院する必要あるのかなって感じもするけど、仕方ないですね。

 

ビーリンサイト2サイクル目

2週間ほどの休薬期間を自宅で過ごした後、予定通りまた入院することになりました。

入院直前にはお決まりのCOVID-19 PCR検査と、血液検査に加えて。心電図と骨髄検査を行います。骨髄検査は、前回のビーリンサイトがどの程度効果を挙げているかを確認するためにとても重要ですが、目視の検査、遺伝子レベルの検査など、検査結果が出揃うまでには、少し時間がかかるので、入院前にやっておくのだと思います。

入院当日 - CV挿入

入院してまずやることは、中央静脈カテーテルCVの挿入です。首元からカテーテルを入れて、心臓の近くの太い血管まで通します。その首元にはそのカテーテルにつながった2つのポートがぶら下がることになるので、そこから薬を入れたり血液を採取したりすることができます。

このCVのお陰で、採血はいちいち針を刺さずにできますし、末梢に打つことのできないような抗がん剤などの強い薬を投薬することができます。ただし、一度CVを繋ぐと点滴台を常に連れて歩く、不便な生活になります。

私はもう何度もCVを入れているので慣れてはいるのですが、どういうわけか今回は少し苦労しました。通常首元の右側から静脈目掛けてガイドワイヤーを入れ、適切な深さ(私の場合、14−5cmの深さ)に届けてから、そのガイドワイヤーに沿ってカテーテルを入れていきます。そのガイドワイヤーが多分肩の付近で引っかかってしまい、目的の深さまで届かないのです。表面は麻酔をしているし、胸の中には神経がないのか、何となく肩付近に突っかかった感じがしましたが、私には何が起こっているのか全くわかりません。色々苦労した結果、右側からは入れられませんでした。今回初めて、首の左側の血管から左から挿入することになりました。

これで翌日からビーリンサイトが開始できます。

骨髄検査結果

CVを入れた入院初日にも骨髄検査の目視結果が報告されてきました。がん細胞(芽球)に見える細胞数は3%くらいで、前回の入院前の10%程度よりも下がっているようでした。

その翌日いよいよビーリンサイトを始める当日、FISH検査、BCR-ABLのPCR検査、フローサイトメトリーの検査結果が上がってきました。

FISH検査というのは、2種類の蛍光物質をつけたプローブがそれぞれX染色体、Y染色体にくっついて、XY染色体を持つ(私=男性由来)細胞とXX染色体を持つ(ドナー=女性由来)細胞が区別することができます。

BCR-ABL PCR検査はフィラデルフィア染色体陽性白血病に対する検査で、白血病細胞固有に存在するBCR-ABLという遺伝子を検出することができます。

もし前回のビーリンサイトによる治療が効果を上げていたのなら、治療前のがん細胞割合(10%くらいだった)がいくらかは減少しているはずです。しかし、今回の結果を見ると、まるで減っていないことが判明。ビーリンサイトって1サイクル7~800万円する薬らしいのに、効いていない。

同時にフローサイトメトリーという検査の結果も上がって来ました。これはがん細胞の持つマーカー(CD19, CD22など)の有無の分布を2次元で可視化することができます。その結果、やはりビーリンサイトがターゲットとしているCD19を持つがん細胞が減っていない、ということが可視化されていました。

半年前に実施したベスポンサはCD22を持つがん細胞をターゲットにしていて、たった2サイクル実施しただけで、私の白血病細胞からCD22をマーカーとしてもつ細胞は、綺麗に消えてしまったのと、とても対照的です。この検査結果から、私の白血病にはビーリンサイトが効果がなさそうだということになります。

ビーリンサイトは1サイクル4週間もかかるので、効果がないかもしれない治療を4週間もかけて時間を無駄にするわけにはいきません。一夜にして治療方針の転換に迫られました。

つまりどういう意味?

体に負担が少なく切れ味が良いとされてきた2つの治療法「ベスポンサ」と「ビーリンサイト」、それぞれ違う理由ですが、使えなくなってしまいました。

  • ベスポンサはCD22というマーカーを持つがん細胞が標的で、その標的を殺し切ってしまったので、これ以上使っても意味がない。
  • ビーリンサイトはCD19というマーカーを持つがん細胞が標的で、その標的に対して効果がなかったので、これ以上使っても意味がない。

ということで、新し目の薬は全て使い切ってしまったということです。

セカンドオピニオン

妻が「どうしてもやりたい」というので、今回の入院と入院の合間に他の病院に予約を取って「セカンドオピニオン」を受けに行きました。セカンドオピニオンは自分の病院以外の医師に質問したりアドバイスをもらう機会で、例えば自分の病院が採用している治療方針が妥当なのかについて、意見をもらうことができます。

別の病院の医師が何らかの意見を述べるためには、私の病気の状況に関する詳細な情報が必要です。病院の受付に「XX病院でセカンドオピニオンをもらうので、資料を用意してください」申し込むと、(ちょっと時間はかかりますが)準備してくれます。セカンドオピニオンは有料で保険が効きません。私たちがお願いした大きな病院では、30分で22,000円でした。

 

さて、セカンドピニオンでは妻から次から次へと繰り出される「素人」質問に、時間いっぱい(実際は予定の30分を超えて)答えていただきました。担当してくださった医師は、ちゃんと事前に私の病院から提供された資料を読み込んでくださっているようでした。簡単に要約すれば、

  • 現在の治療方針は間違っていない(自分の病院でも同じ治療をする)
  • 老人なら移植に向かわず時間稼ぎをすることもあり得る
  • 治癒を目指すならば、再移植しかない
  • 寛解に入った時が移植のチャンス(なお、そうでないという説もあるという言葉もあった)

今後の治療方針

切れ味の良い新しい薬がなくなったので、寛解に入れるためにはトラディショナルな化学療法に頼ることになると考えられます。でも、私の白血病フィラデルフィア染色体陽性なので、チロシンキナーゼ阻害薬(TIK)が一定の効果を持っています。私の場合はT315Iという変異が入っているので、効果があるのは「ポナチニブ」だけなのですが、当面はこれをしっかり服用して、どこまで効果を挙げられるか、こまめに観察するということになります。

もしこの薬に十分効果があって、寛解が目指せそうならばそれを続け、その後移植に向けた前処置に向かうし、ダメならどこかのタイミングでトラディショナルな化学療法に切り替えるのだと思います。

 

さあ一気に選択肢が限られて来ました。これが終わりの始まりなのかな。

ビーリンサイト1サイクルを終えて

その後何事もなく28日間の投薬を終え、2週間の休薬期間に入りました。休薬期間は何もすることがないので、一旦退院します。2週間という期間は最低2週間投薬間隔を開けるということで、次のサイクルを数日遅く始めても構わないということなので、戻ってくるのは少しだけうしろ倒しにしようと考えています。

今後の予定ですが、2週間後の再入院の際に骨髄検査を行って、1サイクル目の効果を測定することは決まっています。担当医の当初の意図としては、3サイクルくらいは繰り返したいとのことでした。

 

さて、その後どうするか?ですが、根治を目指すなら再移植しかないそうです。しかし2回目の移植の成功率は低く、5年生存率で2~30%だとのことです。逆に言えば7~80%は5年以上生きられないということになります。それどころか、移植を目指して移植の前処置を始めても、移植にまでたどり着けないこともあるらしい。さらに私の場合、初回の移植で放射線を12グレイ浴びてしまっているので、追加で浴びることのできる量はせいぜい4グレイ程度なのだそう。あとは抗癌剤ですが、これも前回の移植の際に強い副作用が脳に出た薬があって使えないのと、腎機能が下がってしまっているため、腎臓を壊さないようにコントロールしなければならない、などなど、制約が大きいものとなっています。

そういった慎重にならなければならない状況ではあるのですが、移植が成功するための前提条件として「血液学的寛解に入っていること」というものがあって、そうでないとそもそも移植を目指すことができません。今回のビーリンサイトが効果を上げたタイミングがチャンスということになります。

ということで、次回の入院の際には、移植を目指すことができるのか色々検査をしていくことになります。多分。

 

再々々発の治療方針決定&最初の2週間

骨髄検査&フローサイトメトリー

入院してまず、骨髄穿刺による骨髄液の検査を行った。顕微鏡目視によるBLASTの数やPCRによる遺伝子検査の結果は白血病細胞の割合として10%程度で、入院前の検査からほとんど増えていなかった。つまり、ポナチニブには一定の効果があって、白血病は1ヶ月ほど進行していなかったということになる。

骨髄液内の白血病細胞に対してフローサイトメトリーという検査が行われ、白血病細胞の表面にどのようなマーカーが存在するかが確認された。

前回の入院で使用した「ベスポンサ」はCD22という表面マーカーを持つ白血病細胞を標的とする薬であった。今回のフローサイトメトリーの結果、私の白血病細胞のうちCD22を持つ細胞はほぼ駆逐され、存在しなくなっていた。つまり、ベスポンサはとても良く効いたということだと思う。しかし逆にいうと、もうすでにCD22を持つ白血病細胞は存在しないので、またベスポンサを使ったとしても、もはや効果がないということだ。

フローサイトメトリーの結果、CD19を持つ白血病細胞の大きなクラスタが検出されたので、CD19を標的とした「ビーリンサイト」は効果が期待できることがわかった。従って今回の入院では、このビーリンサイトを使用することになった。実はこれは、新しい白血病の治療法として、現在私が利用可能な唯一の治療法である。この治療が使えなくなったときには、旧来の化学療法くらいしか選択肢がない。

ビーリンサイトによる治療

さて、ビーリンサイトとはどのような薬なのか。

以前のエントリにも書いたが、白血病がん細胞に生えている「CD19」というマーカーと、患者本人が持つ正常な免疫細胞(T細胞)には生えている「CD3」の橋渡しをしてくれる抗体で、この橋渡しのおかげでこれまでT細胞に見逃されていた白血病細胞に患者自身のT細胞がくっついて、がん細胞を破壊するという仕組みらしい。この薬を4週間持続的に点滴静注した後、2週間休薬するというのが1サイクル。これを最大5サイクル繰り返すんだとか。大体1サイクルで、なんと7〜800万円かかるらしい。

私の担当医によると、3サイクル程度実施して効果を見るという方針で入院治療が始まった。つまり全部で16週間かかるから、懲役4ヶ月ってことになる。途中休薬時には仮釈放が認められるかもしれないが。最初の入院依頼の長い治療になりそうだ。費用負担の面では、3割負担の健康保険が適用になっても、200~240万円/サイクル x 3サイクル = 7~800万円の自己負担なり。高額医療制度の利用が欠かせない。

ビーリンサイト投薬スタート

まずは一通りの検査として、末梢血、尿、便、胸部レントゲン、胸腹部CT、MRI、心電図、心エコーなどを実施。

さらに中央静脈カテーテル(CV)を挿入。今回は血管のどこかが狭くなっているとかで、1回失敗して翌日再チャレンジすることになったが、2回目でカテーテル留置に成功。このポートからビーリンサイトを継続的に28日間点滴により注入することになる。

最初の1週間は24時間あたり9マイクログラムを連続注入し、残りの3週間は24時間あたりの量が28マイクログラムに増える。開始直前には副作用として考えられる、サイトカインストームを抑えるために、ステロイドなどを静注にて前投薬する。反応状況をリアルタイムで観察するため、心電モニターを24時間装着する。

ビーリンサイト投薬1日〜3日目

朝10:30から投薬開始だが、その日の夜にはひどい悪寒が始まり、布団を被って丸くなるが手足がとても冷える感じがする。熱を測ると39度近い高熱だ。夜中ではあるが看護師を呼んで、事前に準備されていたステロイドを点滴に追加してもらったところ、明け方にはすっかり熱が下がった。医師によるとこれはどうやら、10%ほど存在した白血病細胞が一気に破壊されることにより生じる、腫瘍崩壊症候群であるとのこと。つまり薬が効いているということだ。

ビーリンサイトの主な副反応としては、以下のようなものがあるそうだ。

  • 神経学的事象:  ビーリンサイト特有の副反応で神経系に問題が起きて、頭痛・不眠・めまい・手足の震え・眠り込んでしまう・不安・軽度の意識混濁・興奮状態・幻覚・妄想・失語症などが発生することがある。
  • 感染症:  これは白血病の薬のほとんどが持つ骨髄抑制により免疫が下がり、サイトメガロウィルス感染・肺炎・敗血症などの発生リスクがある。
  • サイトカイン放出症候群: T細胞が活性化することで、生体内活性物質(サイトカイン)が放出され引き起こされる症状で、吐き気・頭痛・胸痛・動悸・発疹・発熱・鼻血・耳鳴り・呼吸困難・意識低下・嘔吐・寒気・尿の減少などなどが起こり得る。

結構怖いことが書いてあるな。特に神経学的事象は不安を煽る。副反応についてより詳しく知りたい方は、このページを参照してください。

翌日2日目はすっかり薬に慣れたのか、熱も頭痛もなく、静かな1日になった。しかし3日目には1日目と同様に、夜中にひどい寒気と高熱が出ることになる。こちらも副作用どめのステロイドを点滴に加えてもらい、程なく治った。

それ以後は、薬に慣れたのか、壊れる腫瘍細胞の量が減ったのか、目立った反応はありません。24時間つけている心電モニターでわかるのですが、脈が普段より速く、少し歩いたりWeb会議で話をしたりすると、120~140拍/分に上がることがありました。

ビーリンサイト2週目~

その後目立った副反応はなく、2週目に突入。2週目からは(これまで8マイクログラム/日)だったものが28マイクログラム/日に増量されます。この増量に伴って新しい反応が出るかどうか、少しビクビクしていましたが、何も起きませんでした。

あえていうと、お腹の動きが弱くなって、便が出にくくなり、食べたものでお腹が張ってきました。下剤(酸化マグネシウムプルゼニド)を適時飲みながら調整します。

速くなりがちだった脈も落ち着いてきました。あとはじっと待つだけです。1サイクル(4週間)経ったところで骨髄検査をして、効果を確認する予定です。

ところで、9マイクログラムとか28マイクログラムってどうやって測るんですかね。多分何かに溶けていて、その溶媒の量を測るんでしょうね。

 

読み返してみると、語尾に統一感がないな。ひどい文章だ。

 

その後の経緯→またもや再発、入院へ

その後の経緯

2021年4月に入院して、比較的新しい薬「ベスポンサ」を使いました。 CD22というマーカーがある腫瘍細胞だけをターゲットにすることのできる薬で、とても切れ味が良いと言われています。これをわずか2サイクル実施した結果、退院時の骨髄検査では血液学的寛解分子生物学的には僅かに腫瘍細胞が残っていました。 残りの腫瘍細胞は、ポナチニブというチロシンキナーゼ阻害剤を使って抑え込むというのを今後の治療方針として退院しました。

その後、7月にもう一度行った骨髄検査の結果はとても良くて、分子生物学的にも検出限界以下となり、とても喜んでいました。

 

ところが、その4ヶ月後の11月に定期的なチェックのために骨髄検査をしたところ、なんと13%も腫瘍細胞が検出されてしまいました。つまり「再々々発です」。ということで晴れて、再々々入院が決定しました。

しかし年末で忙しく仕事の予定が詰まってしまっていたので、12月の後半になってようやく入院の手筈が整えて入院しました。

 

ということで、今後の治療方針やその経緯はこの後のブログで書いていこうと思います。自分ごととはいえ、治らんなぁ。死にもしないけど。という感想しかありません。大変やねぇ。(京都人じゃないけど京都弁で)