Ph+ALL日記

フィラデルフィア染色体陽性白血病と闘うIT労働者の記録

肺炎からの脊椎骨折

今日はDay 58 (臍帯血移植をしてから58日後)かな。前回の記事からまた3週間以上経ってしまった。この間もまたいろいろありました。

肺炎

数日前に、月に1度のベナンバックスの吸入を行なった。これは、所謂「カリニ肺炎」と呼ばれる、真菌(カビの仲間)を原因菌として生じる肺炎で、AIDSの症状の一つとして有名になった種類の肺炎を、予防するために行う。前回はTBIの直前だったかな。

ベナンバックスは液体なのだが、煙のように気化させる器械を使って気体にして、口から吸い込む。これがまずいんだ。姿勢を座位→仰向け寝→右向き寝→左向き寝と5分ごとに姿勢を変えながら吸い込んで行く。大したことないように思うかもしれないが、この煙が苦い。喉が痛くなるし、唾が溜まりそこにベナンバックスが溶ける。それを飲み込んでしまうと、胃腸の調子が悪くなるのだ。これを過去に何10回となく経験してきたので、口の中の唾は全てよだれとして外に出し、途中で時々うがいするなどして、絶対に飲み込まないようにするのが良いことを発見。唾をダラダラ出すのはなかなか抵抗があったが、それが出来るようになってからは、十分我慢できるようになった。

その直後にあった週に1回取っている胸部X線で、左肺の下の方に影が観察された。肺炎の疑いがある。実際、ちょっと歩いただけで、酸素飽和度が80%台に下がってしまう。脈が早い。安静時でも120拍/分とか。ときどき発熱して38度後半になってしまうことも。熱が上がっている時には、酷い悪寒がし、下がる局面では熱くて熱くてじっとしていられない。布団を追加してもらったり、湯たんぽ(蓄熱ジェルを温めたもの)をもらったり、逆に布団から出て氷枕(蓄熱ジェルを冷やしたもの)をもらったり。寝られないし、動けない。

そこで胸部の単純CTを撮影したところ、左胸部の後ろ側に肺炎があることが分かった。原因菌が分からないとベストな薬が決まらないが、抗生剤を複数点滴して様子を見ることになった。

これが Day 45 ごろのことじゃないかと記憶している。それから数日、抗生剤を変えながら、ときどき起こる発熱にじっと耐えた。アセトアミノフェン(普通の鎮痛剤)の点滴も解熱に効果があったのが幸いだ。抗生剤(どの種類か分からないが)が効いて、発熱は収まった。

背中の痛み

Day 52の朝。朝食後に食休みでベッドの上に倒れていたら、肺炎があると言われている付近の背中に激痛が走った。看護師に報告。医師にもみてもらった。肺の周りの胸膜が痛みを感じているのではないかとのことだった。肺自身は痛みを感じないが、胸膜は痛覚があり、肺炎の影響で胸膜の一部が収縮し、引っ張り合うため、痛みが出ることがあるそうだ。肺炎が治る過程で仕方がないのかなと思った。

ところが、先日撮ったCTの画像を骨にフォーカスして再解析した結果、なんと脊椎に骨折があることが判明。後知恵だが、痛みが起きた時、ごろんと寝転んだ後に、体の向き・位置をずらしたので、ベッドのシーツと病衣がずれて、引っ張られて力がかかっているいるなと思いながら、その状態を放置していた。これが不味かったようだ。まさに肺炎患部に近い場所だ。おそらくそこに痛みがあって、それを庇って力が余計に入っていたのだろう。要は、背骨に一方向に力がかかって、その方向に少し潰れてしまったということと理解している。

脊椎骨折はスポーツ選手が受けるような大袈裟な手術のような治療法もあるが、基本的には「保存療法」をとる。つまり現状はそのままに、ギブスやコルセットなどで固定し、自然に治るのを待つ。腰ならばコルセットが使えたかもしれないが、部位が上で呼吸のために動く部分のため、実際何もしないってことになった。

しかし、これがまた痛いんだ。激痛でじっとしていられない。アセトアミノフェンの点滴がある程度効いたので、6時間おきに点滴してもらう。医師からもう少し強い鎮痛薬があるとのことで、「ソセゴン」に切り替えた。これはよく効いて、効いている間は割と自由に動けるようになった。回数も1日3回程度に減らすことができ、夜眠れるようになった。

退院日の目標?

こんな風に次から次へと新しい問題が生じる中、主治医から「今月中には退院できそうですね」みないなことを言われた。まだ口から物が普通に食べられないのに。

まあ熱がなくて、痛みもなければ、電話会議に出ることも、メールの読み書きもできるようになった。ステロイドは徐々に減量を始めて、本日時点で1日10mgとなった。これは在宅でも問題ない量だ。あとは胃腸が戻ってくれば。