Ph+ALL日記

フィラデルフィア染色体陽性白血病のおじさんの記録

1週間移植延期

2017年5月8日(月曜日)

連休明けの初日.だいぶ前に入れたCVの周りが直径1cmくらい赤くなっている.夕方から明け方にかけて微熱が出たり出なかったりするし,軽い頭痛がある.もしかするとCVが刺さっている首回りから細菌に感染しているのかもしれない.

ということで,一旦CVを抜いてみることにする.

明日(5/9)まで状況を見て,5/18に予定通り移植を実施するか,1週間伸ばすかを決定する.

2017年5月9日(火曜日)

CVを抜いたところの赤みは取れてきている.熱は出にくくなったようだ.炎症反応(CRPの価)も下がってきている.CVが悪さをしていたかのように見えるが,はっきりはしない.

大事をとって,移植の1週間延期を決定.

全ての日程を単純に1週間送らせる.移植日は5/25.放射線照射は5/17, 18に決定.CVは5/11に入れることにする.

骨髄検査結果

5/1に実施した骨髄検査(マルク)の結果が出ている.それを含めて,入院以来の骨髄検査での主な結果を晒しておく.

Date 有核細胞数
(NCC)
巨核球数
(MgK)
FISH% BCR-ABL IS%
2016/12/12 213000 16 NA 750000 NA
2017/1/20 24000 30 0.3 4793 2.5668
2017/2/2 13000 0 1.4 1389 1.9126
2017/3/14 4000 0 0.1 97 0.2026
2017/4/13 182000 80 0.1 56 0.1426
2017/5/1 39000 0   41 0.049

ただし,

  • 有核細胞数: 核を持っている細胞の個数 [個/ul].
  • 巨核球数: 血小板を作るもとである巨核球数の数 [個/ul].
  • FISH%: BCR遺伝子に緑,ABL遺伝子に赤の発色剤を結合させる.普通の細胞では両遺伝子が離れているため緑と赤が識別できるが,Ph染色体のある細胞では両遺伝子がくっついているため黄色に見える.この方法で観測されるBCR-ABL遺伝子を持つ好中球の割合 [%].
  • BCR-ABL: PCRによってカウントされる,BCR-ABL遺伝子の500ngあたりの個数 [個/500ngRNA].
  • IS%: PCRによってカウントされる,BCR-ABL遺伝子の個数とコントロールとなるABL遺伝子の個数の比 [%].International Scaleの略.

と理解した.IS% の検出限界は 0.0007% らしい.

移植準備

運動失調から回復してから2週間ほどはクレアチニンの数値が下がらず,治療が再開できなかったが,2017年4月17日には改善してきたので,スプリセル(ダサチニブ)の服用を再開することができた.

この間,白血病細胞が勢いを取り戻してしまっていないか心配ではあったが,副作用が出ていた間に実施した,骨髄穿刺・腰椎穿刺の結果を見ると,これまでの治療の効果はまずまずのようである.旧来の予定通り,次のフェーズで造血幹細胞移植を実施する方針となった.

この後,ゴールデンウィークを挟むため,その前に検査等を済ませ,ゴールデンウィーク明けから移植に向けた前処理を行い,2017年5月18日(木曜日)に移植を行う.

移植の1週間前には放射線照射を2日間と抗がん剤(エンドキサン)投与を2日間受ける.放射線を受けると自分の骨髄が破壊されるので,後戻りはできない.

突如,運動失調から回復

2017年3月26日に運動失調になってからの1週間は,上手に字がかける時があったり,少し喋れたりと,症状が少し改善したように期待させる状況になったと思ったら,またすぐ元に戻ったりと症状が一進一退したが,幸い,症状が大きく悪化してしまうようなことはなかった.

医師からは時々「昨日より少しよくなったようですね」などと言われるが,自覚的には大した違いが感じられず,気休めを言われているように感じられた.

これまで相部屋の同居人がいたが,私の安静度が急に高くなったので,申し訳ないことにその方は私のせいで別の部屋に移されてしまい,2人部屋を一人で独占することになった.

それからさらに1週間,体がろくに動かない中,ひたすら我慢の日々が続く.

2017年4月9日日曜日

発症から2週間.突如としてなぜか喋れるようになった.文字も不自由なく書ける.歩くのは膝が震える気がするが,どうもこれは運動失調ではなく,足の筋力が極端に落ちてしまったからのようだ.

PCを立ち上げてタイプしてみる.(別の抗がん剤の副作用で)手先が痺れていて感覚がおかしくなっていたが,そのフィードバックが今回の運動失調のせいで変わってしまったのか,タイピング中に変なキーを押してしまうことが多くて少しイライラする.しかし,時間をかければタイプもできるようだ.これでホーキング博士のインプット装置は不要になった.

まだ完全ではないが,どうやらこの運動失調は解消する方向にあるようだ.本当に良かった.あのままだと,白血病が治ったとしても,社会復帰は難しかった.

 

さて,これまで2週間,すべての白血病の治療薬を中止して,血中の抗がん剤(メソトロキセート)の濃度が下がり,腎機能,肝機能が回復するのを待っていた.まだ尿の比重が低く量が多すぎるし,クレアニチンの濃度が高い.このため運動失調の回復後もしばらくは治療薬を中止し,副作用からの回復を優先することになった.

抗がん剤の副作用が脳にきた!(続き)

前回書いたように,突如としてまともなことは何もできない状態になってしまった.

発症後,医師や看護師に入れ替わり立ち替わり,同じことをさせられた.

  • 両腕を前に突き出して目を瞑り,しばらくしてどちらかが下がってきていないか.
  • 片目で上下左右に見えないところがないか.
  • ベッドに寝て膝が立てられるか.
  • 足首が動くか.
  • 力を込めて握手できるか.
  • などなど

これらは体に麻痺がないかを調べるテストなのだと思う.幸いこれらのテストはどれも問題がない.しかし運動を統合する必要がある動作,例えば,歩行したり,発話したりがうまくできないのだ.

歩こうとすると,立ち上がることはできるのだが,力の加減がわからず,立つというよりは飛び上がるようになってしまったり,一歩の足を出せば歩幅が大き過ぎたり,左右にふらついたりと,捕まるものがないと危なくて仕方がない.

コップの水を飲もうと思っても,コップを持った手が口にこない.どこか明後日の方に行ってしまいそうになり,口の前で保持できない.

何より発話できない(ひどく呂律が回らない)のは本当に困る.認知力がなくなった人のように見えてしまう.「お・も・て・な・し」と細切れに切った言葉は喋ることができるが,普通のテンポでは言えない.「なまたまご」が言えない.「パピプペポ」「ラリルレロ」「カキクケコ」もまともに言えなかった.

しかし頭の中では以前と全く変わらず思考できている.ものを思い出すことも,言葉を探すことも,(本人による自己認識なので,客観的に正しいかどうかは不明だが)以前と全く変わりない.そのような状況で,看護師には「今日は何日かわかりますか?」と聞かれる.「3月29日水曜日」と即答するも,口はスラスラとは動かない.

続いて,以下のようなテストをやらされた.

  • 左右の人差し指で何かを指差した後,自分の鼻を指差す.
  • 左の足の踵で,右の足の膝をポンポンポンとリズムよく叩く.
  • 左右の手を裏表にひらひらと素早く振る.

こういった単純なことがうまくできない.これらは複数の筋肉を協調して動作させることが必要で,それができないことを「運動失調」と呼ぶらしい.また,その調整を行なっているのは小脳なのだそうだ.よって,どうやら私の症状は「小脳性運動失調症」であるらしい.

診断はついたみたいだが,これは治るのだろうか.治らなかったら大変だ.無事に白血病が完治したとしても,要介護の状況が残ることになってしまう.

実際,一人ではまるで何もできない.

  • 歩けないので
    • トイレにも行けない→ベッド上で尿瓶(しびん)に用を足し,看護師を呼ぶ
  • 指がコントロールできないので
    • 歯磨きもできない→コップの水を口に運ぶのも慎重にやらないとこぼしてしまう.
    • フリック入力ができない→スマートフォンも使えない
    • タイプもできない→パソコンが使えない
  • 喋れないから

このままだと,ホーキング博士みたいな専用の入力デバイスを作らないと行けなくなるなと思った.

入院中は看護師さんにお願いすれば,ある意味不自由なく過ごせてしまうのだろうが,大人の人間として,自分のことは自分でやりたいという自尊心がある.いきなり下(しも)の世話まで人に依存しなければならない,自分の生物としての能力の低下に愕然とし,涙が出た.

抗がん剤の副作用が脳にきた!

地固め療養C1の抗がん剤の点滴投与期間はわずか3日間.火曜日に開始したので金曜日には投与が終わっており,後は副作用に耐えるだけになっていた.

食欲不振は顕著に出ていて,3月24・25日は病院食をほとんど食べることができなかった.食べやすいゼリー系の食べ物(コンビニで買える「フルーツセラピー」や「ウィダーインゼリー」)を妻に買ってきてもらい,調子がいい時に食べるという感じでなんとかやり過ごそうとしていた.

2017年3月26日日曜日の未明

まだ前日深夜といっても良い,午前1時ごろのこと.

抗がん剤が腎臓を傷めないようにするために大量の水の点滴を受けていたこともあり,排尿のために目が覚め,病室内のトイレに向かう.

寝ぼけていたのか,多少ふらついたかもしれない.いつものように排尿を済ませ,ついでに洗面台の椅子に座ってうがいをした.そこからどうもうまく立ち上がれない.なんかおかしいな,体がうまく制御できないなと思いながらも,完全に思った通りにはならないが,歩くことはできてしまう.壁を伝いながら,点滴台を杖代わりにベットに戻る.

いつも排尿のたびに尿量を計量カップで計測し紙に時刻とともに記録するのだが,ベッドに戻っていざ記録しようとすると,字が上手く描けない.下手な字で記録する.

午前3時にも全く同じことを繰り返す.少し症状がひどくなっているような気がする.壁に顔をへばりつけながら,なんとか移動できた.

明け方になって,どうも呂律が回っていないことに気がついた.頭に言葉はちゃんと浮かんでくるのだが,口が動かない.発話できないのだ.

もしかすると,これはおおごとかもしれない!

看護師に報告したのが朝6時.その後,実際におおごとになった.

 

私の担当医は電話で緊急に呼び出されたようだ.妻には朝8時に電話で病状が伝えられた.どちらもすぐに駆けつけてくれた.

突然,呂律が回らない,体が動かないとなったら,普通は脳卒中(梗塞か出血)を疑う.CT, MRIによる画像診断が欠かせないが,今日は日曜日.病院は休日体制で,CT, MRIを含む検査機能は止まっている.即CT, MRI がオーダーされたが,機器に火が入り検査できるのは午前10時以降になる.

脳梗塞だった場合,発症から4時間半以内ならばt-Paという薬が使用できる.梗塞の原因となっている血栓を溶かす薬だ.しかし,最初の症状が出たのが深夜の1時であることから,私が朝看護師に報告した時点でとっくに4時間半を過ぎてしまっている.この時間を過ぎてt-Paを使用すると,壊死した脳から大出血する可能性があり,むしろ危険である.すでに有効で即効的な治療法はすでにないという状況だ.

CT, MRIに火が入ると,病室から普段寝ているベッドごと検査場まで運ばれた.救急救命される患者の気分を味わった.

 

入院100日.地固め療法C1

この2週間,いろいろなことがあった.リアルタイムで書くことは不可能だった.

入院100日目の2017年3月21日

地固め療法C1という3サイクル目の治療が入院100日目の2017年3月21日にはじまった.この治療は,中枢神経に白血病が行かないようにする治療で,以下の薬剤を使用する.

  • カイトリル・ソルメドロール: 吐き気どめ
  • メソトレキセート: 抗がん剤
  • キロサイド: 抗がん剤
  • ソルメドロール: ステロイド
  • ロイコボリン: メソトレキセートの副作用予防薬
  • メソトレキセート・デカドロンの脊髄腔内注射
  • スプリセル: 抗がん剤
  • オルガドロン: キロサイドの副作用予防目薬

 副作用としては

  • 食欲不振・吐き気
  • シタラビン症候群(皮膚のかゆみ,目の充血・かゆみ・痛みなど)
  • 発熱
  • 下痢
  • 浮腫み・呼吸苦・皮疹
  • 口内炎
  • 骨髄抑制による血球減少
  • 肝機能低下
  • 腎機能低下

などが考えられる.

前回の地固め療法もそうだったが,サイクルのはじめにドッと抗がん剤を投与して,しばらく我慢するというスタイルだ.

がん保険の必要性

白鳥やら癌サバイバーのタレントを使ったCMで「がん保険」の必要性を主張している.さて本当に医療保険がん保険は役に立つのだろうか?私自身のケースではどうなのか見ていこう.

医療費負担額は?

まず幾らくらいの負担が発生しているか具体的に見てみる.

入院した2016年12月12日から2017年1月末までの合計51日間で,私が病院に支払った自己負担金は526,623円であった.これが今後何ヶ月も続くとなると大変だ.確実に破産してしまう.これを補うために医療保険に入っておくべきだったのだろうか?

私が加入している健保組合の仕組みを調べてみると,3ヶ月後に一定の基準を満たす高額医療費に対して,毎月の自己負担が(健保組合が規定する)一定金額になるように付加給付金が降りることになっている.私の入っている健保組合の場合,自己負担額はわずか25,000円.つまり実質的に私が負担しなければならない金額はたった月額25,000円だけなのだ.一旦病院に支払った上記の金額の大半は,後で付加給付金として戻ってくるのだ.

これほどの付加給付金が出せる健全な財政を保っている健保組合に感謝するしかないが,このような制度のある健康保険組合に加入していれば,入院費用等が支払われる医療保険に入る必要性はほとんどないと言って良いと思われる.

なお付加給付金が支払われるのは発生してから3ヶ月以上後なので,それまでの間は自己負担する必要がある.従って,ある程度のキャッシュは手元に持っていないといけない.(病院窓口で支払う額を減免する高額医療証を発行してもらうことができ上記の金額はこれを適用した結果である.ただし,最終的に支払う自己負担額はこれを使っても変わらない.)

買っていた保険は?

さて,私自身は実際どんな保険に入ってたのかと言うと…

私は若い時,22年前の28歳時点で,ちょっと無理をして終身保険に加入していた.60歳払い込み完了で,いつ死んでも一定額の保険金が降りるというやつで,毎月の保険料は高額だが,積立貯金のようなもので確実に遺産が残せると考えていた.

妻と娘にはそれで十分だと考えたところ,ずっと後になって娘の14歳下に息子ができてしまった.私が定年しても息子は成人しない.万一早めに私が死ぬと息子の養育費が出せなくなり困るので,給与保証の保険に新たに加入した.私が早く死んだ時には65歳になるはずだった時まで毎月一定額が給与のように支払われる.

医療保険は役に立つ?

後者の給与保証保険には,癌と診断された場合には以後の保険料の支払いが免除されると言う特約をつけていた.今回それが発動して,保険金は(まだ死んでないので)降りないが,今後保険料を毎月支払う必要がなくなった.保険料を払わなくても保証が継続すると言うことで,実質的に保険料分の保険金が下りたのと同じことになる.

前者の終身保険には入院費保証の特約をつけていた.入院5日目から日額5,000円.癌での入院の場合はさらに追加で日額10,000円.つまり入院中日額15,000円が支給される.

毎月25,000円の自己負担に対して,1日15,000円の保険金が出るのだから,随分と得するように思うかもしれない.しかし長期間加入していたので,これまで支払った特約保険料の総額はとても大きい.元を取るまでには相当の期間入院しなければならない.第一,ここでちょっと得できたとしても,保険としてはなんの役にも立っていない.つまり,私の場合,入院費特約はつけるべきでなかったのだ.

私の勤務先の制度として,短期間(約3ヶ月)は有給休職できるが,その期間を過ぎるとその後約2年間は無給休職となり,その間は健保組合が給与の2/3を補填してくれる.それを過ぎると退職となる.退職に至らずに職場復帰できると仮定すると,大半の収入が保証されるので,必要な保険はほとんどないと言って良さそうだ.

それでも役に立つ保険があるとすると,がん診断時あるいは闘病期間中の収入を保障してくれる保険とか,がん診断時に以後の支払いが不要となる住宅ローンを買っておけばよかった.

 

以上,あくまで私のケースではどうなのかと言う話でした.

保険は,稀なイベントで,もしそれが起こると金銭的に生活が成り立たなくなるなど破壊的な結果になり得る場合,そのリスクを回避するために購入すべき.

サラリーマンの場合,勤務先で加入している健康保険がどのような保障を提供しているか調べ,それが十分手厚い場合(私の場合はそうでした),個人で医療保険がん保険に入る必要性はない.

以上はあくまで「健康保険が適用される範囲の治療を受ける」場合についての話です.健康保険が適用されないような先端医療や民間療法を使いたい場合は特別な保険が役に立つかもしれません.