Ph+ALL日記

フィラデルフィア染色体陽性白血病と闘うIT労働者の記録

肺炎からの脊椎骨折

今日はDay 58 (臍帯血移植をしてから58日後)かな。前回の記事からまた3週間以上経ってしまった。この間もまたいろいろありました。

肺炎

数日前に、月に1度のベナンバックスの吸入を行なった。これは、所謂「カリニ肺炎」と呼ばれる、真菌(カビの仲間)を原因菌として生じる肺炎で、AIDSの症状の一つとして有名になった種類の肺炎を、予防するために行う。前回はTBIの直前だったかな。

ベナンバックスは液体なのだが、煙のように気化させる器械を使って気体にして、口から吸い込む。これがまずいんだ。姿勢を座位→仰向け寝→右向き寝→左向き寝と5分ごとに姿勢を変えながら吸い込んで行く。大したことないように思うかもしれないが、この煙が苦い。喉が痛くなるし、唾が溜まりそこにベナンバックスが溶ける。それを飲み込んでしまうと、胃腸の調子が悪くなるのだ。これを過去に何10回となく経験してきたので、口の中の唾は全てよだれとして外に出し、途中で時々うがいするなどして、絶対に飲み込まないようにするのが良いことを発見。唾をダラダラ出すのはなかなか抵抗があったが、それが出来るようになってからは、十分我慢できるようになった。

その直後にあった週に1回取っている胸部X線で、左肺の下の方に影が観察された。肺炎の疑いがある。実際、ちょっと歩いただけで、酸素飽和度が80%台に下がってしまう。脈が早い。安静時でも120拍/分とか。ときどき発熱して38度後半になってしまうことも。熱が上がっている時には、酷い悪寒がし、下がる局面では熱くて熱くてじっとしていられない。布団を追加してもらったり、湯たんぽ(蓄熱ジェルを温めたもの)をもらったり、逆に布団から出て氷枕(蓄熱ジェルを冷やしたもの)をもらったり。寝られないし、動けない。

そこで胸部の単純CTを撮影したところ、左胸部の後ろ側に肺炎があることが分かった。原因菌が分からないとベストな薬が決まらないが、抗生剤を複数点滴して様子を見ることになった。

これが Day 45 ごろのことじゃないかと記憶している。それから数日、抗生剤を変えながら、ときどき起こる発熱にじっと耐えた。アセトアミノフェン(普通の鎮痛剤)の点滴も解熱に効果があったのが幸いだ。抗生剤(どの種類か分からないが)が効いて、発熱は収まった。

背中の痛み

Day 52の朝。朝食後に食休みでベッドの上に倒れていたら、肺炎があると言われている付近の背中に激痛が走った。看護師に報告。医師にもみてもらった。肺の周りの胸膜が痛みを感じているのではないかとのことだった。肺自身は痛みを感じないが、胸膜は痛覚があり、肺炎の影響で胸膜の一部が収縮し、引っ張り合うため、痛みが出ることがあるそうだ。肺炎が治る過程で仕方がないのかなと思った。

ところが、先日撮ったCTの画像を骨にフォーカスして再解析した結果、なんと脊椎に骨折があることが判明。後知恵だが、痛みが起きた時、ごろんと寝転んだ後に、体の向き・位置をずらしたので、ベッドのシーツと病衣がずれて、引っ張られて力がかかっているいるなと思いながら、その状態を放置していた。これが不味かったようだ。まさに肺炎患部に近い場所だ。おそらくそこに痛みがあって、それを庇って力が余計に入っていたのだろう。要は、背骨に一方向に力がかかって、その方向に少し潰れてしまったということと理解している。

脊椎骨折はスポーツ選手が受けるような大袈裟な手術のような治療法もあるが、基本的には「保存療法」をとる。つまり現状はそのままに、ギブスやコルセットなどで固定し、自然に治るのを待つ。腰ならばコルセットが使えたかもしれないが、部位が上で呼吸のために動く部分のため、実際何もしないってことになった。

しかし、これがまた痛いんだ。激痛でじっとしていられない。アセトアミノフェンの点滴がある程度効いたので、6時間おきに点滴してもらう。医師からもう少し強い鎮痛薬があるとのことで、「ソセゴン」に切り替えた。これはよく効いて、効いている間は割と自由に動けるようになった。回数も1日3回程度に減らすことができ、夜眠れるようになった。

退院日の目標?

こんな風に次から次へと新しい問題が生じる中、主治医から「今月中には退院できそうですね」みないなことを言われた。まだ口から物が普通に食べられないのに。

まあ熱がなくて、痛みもなければ、電話会議に出ることも、メールの読み書きもできるようになった。ステロイドは徐々に減量を始めて、本日時点で1日10mgとなった。これは在宅でも問題ない量だ。あとは胃腸が戻ってくれば。

 

臍帯血移植のその後

今日はDay 34かな。移植日をDay 0として数えて、34日経ちました。

いろんなことがあった。しかし調子が悪すぎて、記事を書くどころか、記録を取ることすらできなかった。

 

TBI以降、胃腸は全く動いておらず、食事はつい一昨日まで一切口にできなかった。栄養分は全て点滴にて補充という状態が1月も続いた。腹に何も入っていないのに下痢は出る。お腹が張っていて、なんとか腹圧を下げたいのだが、ゲップもオナラも出ない。これはいまだに続いている。

 

文句はまだまだたくさんあるけれど、臍帯血移植事態は上手くいって、2週間ほどで生着。クリーンルームを脱出することができた。

終末スクリプトが誤起動

この1ヶ月本当に調子が悪かった。病院にいる間、1週間に1度自分が生きていることを入力しないと、自動的に遺書が家族に送られる仕組みを(5年前の最初の入院時に)作っていた。これがこの1ヶ月のあまりの調子の悪さのため、予期せず発動してしまった。

家族(妻・娘・息子)は病院からの連絡もないところ、突然遺書を送りつけられて、さぞびっくりしただろう。そのメールが届いた直後に妻から電話で生存確認があった。泣いていた。ちょっと申し訳ないが、遺書メールの中身は本音を綴っていたので、滅多に手紙なんか書かないから、改めて気持ちが通じた気もする。

 

 

前処置完了〜臍帯血移植

この記事を書いているのはDay 0の夜。つまり移植の日。もう少し前に前処置までを書こうと思っていたのだが、体調が悪過ぎて、全く手がつけられなかった。

最後の抗がん剤(Day -3, -2)

2つ目の抗がん剤アルケランを2日に分けて点滴する。1つ目のフルダラと同じく、前投薬30分と合わせて1時間程度。ただし、アルケランは粘膜に障害を作るので、クライオセラピと言う大層な名前のついた予防策、と言っても市販のロックアイスを口に含んで口周りの血行を下げ、高濃度の抗がん剤が口腔粘膜に影響を与える程度を下げると言うもの。

口内炎は普段は大したことないが、白血球がほぼゼロの現状では、命取りになりかねないのだそうだ。ここでは五月蝿く口腔ケアを念押しされる。トイレに立つたびにウガイ、可能ならば歯磨きといった具合だ。

幸い、私のケースでは口腔炎は生じずに済んだようだ。ただ、口腔以外にもいくらでもあって、胃腸の管は全て粘膜だ。これからますます胃腸の動きが悪くなると考えられる。

食事はTBI当日の夕食以降、ほぼ食べられていない。

 

それにしても調子が悪い。何かしなければと思っても、実際行動するまでに20分、30分とかかってしまう。トイレにおきるのでさえ。なにしろ腹が張っている。気持ち悪いが、吐くほどでもない。

 

Day -2の深夜になって、急に吐き気の発作に襲われた。ほんの10分ほどの間、胃がキュウと縮まって、空っぽの胃の中身(胃液)が全部出た。とても苦しかったが、その後は少しスッキリした。その日の夕食は何も手をつけず、薬を夕食に出たリンゴジュース少々で飲んだのだが、胃腸壁が粘膜障害を受けているところにジュースという刺激物が入ったのが良くなかったかもしれない。この後は、食事は基本摂らないことにした。生きるために必要な栄養分は、点滴で補われている。

移植前日(Day -1)

多分、移植までの道のりでこの日が一番辛かった。なにしろ不快だ。居ても立っても居られないくらい不調なのに、何も体を動かしたくない。腹が張っている。下痢なんだけど、排便しても腹がスッキリしない。1日に2・3度、胃がひっくり返る吐き気の発作に襲われる。吐き気というか吐き戻しの発作だな。

この日は何の予定もなく、一日じっと寝て過ごす。

唯一新しいこととしては、免疫抑制剤(サンディミュン)の点滴が始まった。腎臓への影響を考慮して、通常の半量に減量している。このため、飲み薬の免疫抑制剤(セルセプト)を併用する。セルセプトの方が腎臓への負荷が低いらしい。こちらはかなり大きめのカプセルで、1日9錠を2回に分けて服用。抗がん剤の影響で吐き気があるので、吐いてしまうと飲めなくなるのが怖い。

臍帯血移植日(Day 0)

さて、いよいよ移植だ。

臍帯血は本日これから届くのだそうだ。厳重だね。だから、厳密に移植が何時からとは決まっていない。お昼頃らしい。

前投薬(アレルギー留めなど)が始まった。それと同時に心電モニターと酸素飽和度を測るモニターをつけられ、常時監視できる状態になった。

すると医師や看護師がワラワラと部屋に入ってきて、無菌室がいっぱいになった。緊張させようとしてるのかな?主治医が「これが臍帯血です」といって、シリンジ3本に入った臍帯血を見せてくれた。これをCVカテーテルからゆっくり手で注入していく。10分ほどで完了。ここでアレルギー反応などが出ることが心配されていたのだと思うが、何ごともなく順調に進んだ。

その後、30分ごとに2時間の間、血圧・サチュレーション・体温などを観察されたが、特に変化なし。モニターも取り外された。

 

 

 

 

 

 

 

全身放射線照射〜抗がん剤開始

全身放射線照射(TBI)

照射はあっけなく終わった。午前40分、午後40分くらいかな。放射線を浴びるとフラつくらしいので、医師に車椅子に乗せられてX線の照射装置のある部屋に連れていかれる。身体中に線量計をつけられるが、じっと寝ていれば良い。今回は体の部位によって放射線を調整するための遮蔽物を置かないので、多少動いても良いらしい。行ったこと無いけど日焼けサロンと変わらない。

終わった直後の感想も、どうってことなかった。照射直前と間の朝食・昼食は半量にしろと言う指示だったので、そうしたが、夕食は全部食べることができた(これが失敗だった)。

 

しかし翌日になって、調子がとても悪くなった。

 

腹が張って水も飲めない。要は胃腸全体がストライキを起こしたかのように、全く動いていない。昨日食べたものが全て胃に残っているように感じられる。当然便秘だ。それから今日現在まで3日間、全く何も食べられなくなった。後は軽い頭痛がするだけなのだが、全身がとてもだるい。トイレに立つ気もしない。

抗がん剤フルダラ開始

TBIから2日あけて抗がん剤フルダラが始まった。投与は前投薬と合わせて60分で完了する。すでに最悪のコンディションなので、事前に聞いていた吐き気などの副作用は何も感じられない。この3日間、ひたすらじっと寝てやり過ごすことになった。

 

翌日(TBIから4日目、抗がん剤投与開始から2日目)になって、どうやら少しお腹が動き始めた。プルゼニドラキソベロン・酸化マグネシウムなどの下剤を色々使ったせいもあって、お腹が鳴って、溜まっていた便が出始めた。便が出れば腹の張りは治ると思ったのだが、すぐには改善しない。でもだんだん楽になってきた気がする。とは言っても普通の食事は食べる気がしない。病院食で食べられるのは、ゼリーとかフルーツ缶とかだけだ。

 

明日からは次の抗がん剤アルケランが始まる。これは副作用として粘膜障害が出るらしく、面倒臭そうだ。

再移植のための入院開始〜再移植へのカウントダウン

入院の際には、前日に必ずコロナのPCR検査を受ける。私は月曜日に入院予定だったので、前の週の金曜に受けた。当然陰性であった。しかし週末に軽井沢に旅行に行ったので、入院した際には病院は私が陽性であることを仮定した対応を取ることにしたそうだ。では金曜日のPCRは不要だったんじゃないかと思うが、まあ仕方ない。

でもこれがとても快適であった。個室があてがわれたので、個室の中では音楽も聴き放題だし、電話もし放題だし、仕事もし放題だ。問題があるとすると、廊下に出られないので、お茶が汲みに行けない。ミネラルウォーターは少ししか持ってこなかったので、仕方ないから看護師さんに給湯器からお湯を汲んできてもらい、紅茶や緑茶を入れて飲んだ。

検査、検査、検査

最初にいつもの骨髄検査(マルクと呼ばれるやつ)。次に腰椎穿刺(腰の高さの背骨の隙間から針を刺して検査のための脳脊髄液を採取したり、中枢神経内に抗がん剤を注入したりする)を実施。腰を丸めて腰椎の間から針を刺す。レントゲン・CT・MRIなども実施。

入院後1週間経って結果が大体出揃った。どれもとても良好であった。骨髄のFISH検査 (私由来の増結細胞が持つXY遺伝子の数), PCR検査 (白血病細胞が持つBCR-ABL遺伝子の量) もこれまでの最低、髄液検査でも白血病細胞は1個しか見つからなかった。

薬疹の原因が、現在効果のある唯一の薬であるアイクルシグであるかもしれなかったので、その減量していたから、効果が減ってしまっているのではないかと少し心配だったのだが、幸い杞憂であった。このタイミングで再移植するのだ。今しかない。

薬疹のその後

以前の記事で薬疹が出た話をした。退院している間もしばらく続いていたが、徐々に改善してきた。アイクルシグは減量したし、入眠剤はやめたし、肝臓の薬は切り得たし。結局どの薬が原因だったのか不明。

皮疹は消えたけれど、その後遺症として手足・尻の皮膚が死んで剥がれ落ちて、パーティクルがポロポロ落ちるようになってしまった。保湿にはヒルロイドのローションと軟膏を使っていたが、もっと油分があるものを使った方が良いということで、ユベラという粘度の高いものを使ってみることになった。このユベラは15°C以下で保存しなければならないので、ベッドの横のテレビカードで動作する冷蔵庫に入れておく。

毎日、起床後・シャワー後・就寝前の3回、全身をこれらで保湿する。

膝痛のその後

膝の痛みは、プレドニンステロイド)が効いている限りは再発してこなかったが、移植前にはプレドニンをやめなければならない。ステロイドは元々自分の体の副腎から分泌されているホルモンで、薬を飲んでいる間は、この副腎はステロイドの分泌を休んでいる。急に薬をやめると、副腎が急にはステロイドの生成分泌を始めないので、ステロイドが体内から不足してしまうという事態が起こる。これを避けるために、薬からの離脱は徐々に行う必要がある。これから量を減らしていくのだが、それが一定量を下回った時に、また痛みが発生する恐れがある。これに対処するために、消炎鎮痛薬としてカロナールが処方されているが、まるで効果があるように思われない。そこでもっと強力な鎮痛剤を用意してくれているようだ。使わずに済むと良いのだが。

再移植へのカウントダウン

そこで予定通りの日程で、移植の前処置に入り、これから10日前後で臍帯血移植に進む。前にも少し書いた通り以下の日程で進む。移植日 = Day 0 としてそれの前をマイナス、後をプラスで表す。

前回の経験では、途中激しい吐き気と下痢に苦しめられたような気がするが、どの程度大変だったかは、都合よく記憶から消えている。人間は生きていく為に、そのようにできているんだな、多分。

全身放射線放射 TBI

TBI (Total Body Irradiation; 全身放射線照射)は、初回の移植の際は2日間に渡って12Gy(グレイ)という量を浴びた。今回は1/3量の4Gyを浴びるので1日ですむ。午前午後に分けて実施するが、1回の時間が短い。

ところでGy(グレイ)という単位は放射線が充てられた物質が取り込むエネルギーのこと。福島原発事故でSv(シーベルト)という単位をよく耳にしたと思う。Svは放射線に対する人体への影響を表す単位で、同じ放射線量でも放射線の種類(X線γ線β線α線)によって人体への影響が異なる。今回浴びるX線の場合は、1Gy = 1Sv ってこと。

この都内の環境放射線量って0.1μSv/hとかいうレベルなので、今回浴びる放射線の人体への影響は 4Svだから、4Sv÷0.1μSv/h を計算すると、自然環境で浴びる4566年分の放射線を1日で浴びるって計算になる。途方もない。

TBIはレントゲン(X線)を身体中に浴びるってことで、普通は胸やお腹をピッタリつけて撮影するレントゲンの機械に対して、ちょと離れたところに横向きに寝て、じっとしていればよい。前回は首や肺といった体が薄くなっている部分には、アクリル板などで遮蔽して照射量を調整した。事前にCTやレントゲンで計測されたが、何を計測して、それがどのように使われるのかまでは理解していない。

照射中は、じっとしていなければならないので、iPhoneに好きな曲のプレイリストを作って、音楽をランダム再生してもらおう。

抗がん剤

前回の治療中に使った抗がん剤で私の腎臓は壊れたし、小脳に副作用も出た。再移植はセオリーが違うのか、前回の副作用を考慮したのか、選択の理由までは理解していないのだが、現在の私の状況に一番マッチしたものということで、フルダラアルケランという、前回とは違うものを選択することになった。

リンク先にも書かれているが、どちらも腎臓に負担のある薬だ。私のクレアチニンリアランスは腎症ステージ3レベルなので、投与量は直前に蓄尿(尿を24時間貯める)をして計測し、調整する。

アルケランという薬の副作用として、粘膜障害が起こるらしい。中でも口内炎を予防するために、「クライオセラピー」というのをやる。立派な名前がついているが、氷を口に含んで口内の血流を抑制するというだけなのだが。

どちらの抗がん剤もとても毒性が強いようで、ご多聞に漏れず、多くの副作用が列挙されている。下痢・吐き気は当然のこと、心臓・腎臓・肝臓への影響など。TBIの影響下での投与なので、薬で死んじゃうんじゃないかしらとさえ思える。

 

TBIを始めたら、もう後戻りはできない。後2日だ。

退院中2週間の生活

今週初めからまた入院して治療を始めているのですが、今日は2週間の退院中にやったことを書いていこうと思います。やりりたいことはちょっと前の記事にも書きましたが、チェックリストを作って順番にこなしていきました。

出前をとる。しかもジャンク

病院食は健康に悪いものは一切出ないし、味は薄いし、量は少ないので、外に出たら美味しいものが食べたくて仕方がなかった。退院した直後は、いつも美味しい食事をいつも作ってくれる妻がコロナ陽性になってしまい、都の隔離施設で数日帰ってこない。という状況ででした。いざ退院してみると、何から食べていいかわからない。結局退院して最初の食事(昼食)は、UberEatsでちょっと高級なハンバーガーをオーダー。ハンバーガーも熱々は美味しいんだけど、Uberだと少し冷め気味なので、オーブントースターと電子レンジで上手に再加熱してして、オニオンリングやポテトなどもつけてたっぷり食べました。

その後も、いろいろなジャンクが食べたくなって、「CoCo壱カレー*1」「ナポリピザ」「モスバーガー」なんかを出前した。

お店で食べる

やっぱりコッテリしたラーメンが食べたくなった。ラーメンは出前は厳しいから、コロナが怖いけど街に出て、鶏がらスープのコッテリラーメンと餃子を食べた。美味かったがとても喉が渇いた*2

他には、しつこくイタリアンというか焼きたてのピザが食べたくなり、ピザ窯のある店を予約して家族で食べにいった。焼きたてのピザは美味い。

最後に、外苑前のウルフギャングステーキハウスに家族で出かけた。

tabelog.com

このお店はテーブルに着くとちょっと高いが、午後5:00までのハッピーアワーに入店して、ウェイティングカウンターで食事をすると、安くで食べられる。事前に電話したら(予約はできないけど)空いてますよってことだったので、早めのディナーというか、遅めのランチとして行った。前菜多め、肉少なめのオーダーでちょうどよかった。付け合わせのスピナッチ(ほうれん草)もバターたっぷりでうまい。これは飲み物だな。

お家ご飯

残りの食事は、妻が隔離中は娘が、妻が帰ってきてからは妻が、とても丁寧な食事を作ってくれた。ありがとう。それで気づいたんだが、妻の味付けと娘の味付けの系統がだいぶ違う。普通娘は親から料理を学ぶし、レシピが大体共通なので、似た味になるものだと思っていた。妻の味付けはしっかり塩気がある。娘の方は少し甘め。もしかすると関西風なのかな。食卓でその話をすると、娘は「だって教わってないもん。しかもママのレシピは超適当だし。」ってそうだったのか。

膝の激痛

上に書いた鶏がらラーメンを食べた晩のこと。夜になって両膝が痛くなり始めた。その日は街に出かけて少し歩いた。距離にして2キロくらいかな。靴をしばらく履いていなかったこともあって、向こう脛の筋肉が筋肉痛になって、足が疲れた程度には歩いた。足が疲れていたので、湯を張ったお風呂に、息子と入って温めたりもした。そのどちらか、あるいは両方が原因かな、その程度なら休んでいれば治るはず、などと思っていた。それが夜中になり明け方になる頃には本当に激痛になって、全く寝ることができなくなってしまった。

明け方になって、寝られない中、痛みに耐えて唸りながらぼんやり考えていたら、「あ、これは痛風の発作じゃないか?こってりラーメン食べたし」と素人考えが浮かんだ。もしこれが痛風の発作なら、NSAID系の痛み止めか、ステロイドが効くと見聞きした覚えがある。ステロイドなら毎日プレドニンを飲んでるじゃないか。そこで、まだ時間は朝5時ごろと早かったが、急いで朝食として腹に何か入れて、早めにステロイドを飲んだ。そしたら30分〜1時間したら、嘘のように痛みが消えてしまった。

その日は土曜日であったが、何かあったら電話しろとのことだったので、9時過ぎまで待って病院に電話。主治医からコールバックをもらい、休日診療してもらうことになった。もちろん関節の先生はいないが、ことの顛末を話すと、両足同時に痛いなら、痛風の可能性は低いと。確かに尿酸の結晶が同時に左右対称にできる確率は低そうだ。しかしステロイドを飲んだのは、大正解であったと。原因は不明なので、ステロイドでコントロールして、入院時に専門医に診てもらうことになった*3。これまで朝と昼に服用していたプレドニンを、朝と夜に分散して飲むことにした。

仕事のラップアップ

私の直属の上司はカリフォルニア、その上の上司はアメリ東海岸にいる。コロナ禍で直接は2年以上どちらにも会っていないが、今回東海岸にいる方の上司が日本にやってくるという。ちょうどビジネス渡航の制限が緩んで、隔離期間なしで活動できるようになったので、重要なお客に会いに来るわけだ。これはいいタイミングだ。ここのところのアップデートをまとめてやりつつ、個人的な入院・休職の話もしやすい。時間がないながら寝ずに準備して、久しぶりに3日間連続して出社し、後始末をこなした。

その他細々としたこと

これから入院すると、1週間ほど白血病病棟の普通の部屋で過ごしながら、検査やら投薬をこなし、全身放射線放射 (TBI = Total Body Irradiation)を受け、その後クリーンルームと呼ばれる無菌室に入って抗がん剤治療を行い、最後に臍帯血移植を行う、という段取りになっている。

この時、コロナ禍であることもあって、面会は一切できない。病衣は病院でレンタルできるが、見た目が病人らしすぎるのと、生地が良くなくて擦れるのと、ズボンのゴムがキツイという話を聞いたので、自前で用意にすることにした。5年前とシステムが変わっていて、1週間に1度洗濯業者が1,000円で洗って、翌週持ってきてくれるらしい。つまり2週間分の着替えが用意できれば良い。ユニクロのエアリズムの前びらきのシャツと、Amazonで買うことができる安いステテコ・モモヒキ・パンツ(下着)をオーダーして、手持ちのものと合わせて数を揃えた。洗濯業者は洗濯物に名札を貼れと言っているそうだ。布用のタグがあるのだが、一番無難で安上がりな布用ネームペンを購入。濃い色の生地には黒ペンだと見えないので、白・黒・ピンクの3本セットを準備した。

歯医者で口腔検診

病院で行けと言われた口腔検診のために、歯医者に1年ぶりくらいにいってみた。

病院から紹介状を持っていったので、とても丁寧に対応してくれた。ぐるっと回るレントゲンで顎の写真を撮り、膿疱なんかがないかを調べ、口の中のクリーニングもしっかりやってもらった。幸い何の問題もなかった。

最後の最後に小旅行

これでもう家族と過ごせるのも最後かもしれないってことで、蔓延防止が終了したこともあって、軽井沢に1泊2日の家族旅行に出かけた。まだ春浅い軽井沢で体力があればスキーだってできるのだが、そんな体力はないので、ただ何の目的もなく、お風呂に浸かって、少し豪華めな夕食をとり、アウトレットモールで買い物するだけだ。それでおしまい。往復の新幹線も久しぶりで楽しみかもしれない。グランクラスも考えたが、家族四人分は高すぎると感じられたのでやめて、グリーンにした。

新幹線で行くと、東京駅から立ったの1時間10分。ビールとスナックを食べていたら、食べ終わる前に着いてしまった。JRのえきねっとで初めてモバイルSuicaを登録して利用した。JR東海Express予約同様、モバイルSuica(私の場合はApple Watch)だけでチケットレスで乗れるのであった。知らなかった。事前にネットでSuica番号を登録するのだが、その番号が間違っていたらどうしようと、最初の新幹線の改札だけはちょっとドキドキであった。

旅行はあっという間だったが、四六時中食べていたので腹が張った。

 

次回は最後の入院の始まり、かな。

 

*1:私はいつも、メンチカツ・ほうれん草カレーの3辛か4辛を食べる。できればビールと一緒に食べたい。

*2:その日の夜、足に激痛が来て痛風発祥かと思ったのだが、実は原因は別にあった。

*3:膝のCTの結果、僅かに骨壊死の兆候が見られるらしいが、それが痛みの原因であるかは不明。現時点の可能性としては、白血病の影響かもしれない。

本日退院&入院中のリモートワーク

本日退院です。昨年11月から今年3月までの5ヶ月間で、間欠的におよそ3ヶ月の入院でした。2週間後にまた戻ってきて、多分それが最後となる治療に向かいます。

今日は退院前ってこともあって、まったく病気治療と関係ない話を書きます。

病院でのリモートワーク

私が働く会社、中でも特に私の部署では、コロナが始まった2020年2月から、ほぼ100%在宅勤務を実施しています。コロナになる前から、裁量労働制だし、私を含めて多くの人が週に1日2日は、在宅で勤務していました。このお陰で5ヶ月間で(年末年始の休暇などは取りましたが)病気・入院を理由に休みを取る必要がありませんでした。

だから、上司も人事も部下も、私が入院中であることを知りません。唯一知っているのは、私のスケジュールを調整してくれている、秘書だけです。入院中も働いているというと、ブラックな!と思うかもしれませんが、入院してて仕事をしてなかったら、精神に支障をきたすんじゃないかと思いますし、給与は全額出ますし、こんなに恵まれた環境はないとすら思います。会社の制度が進んでいることもありますが、何よりリモート勤務が常識になったコロナのお陰といって良いでしょう。

 

そんな入院中の仕事環境で、唯一不便なのがI/Oを伴う事務処理です。印刷しなければならない・スキャンしなければならない。そんな時、病院だとプリンターやスキャナが使えない。以前と比べて頻度は劇的に減りましたが、今でも役所や取引先に提出する書類・契約書にサイン・押印がいるというケースがあります。今回も5ヶ月間で、数回遭遇しました。

スキャンは品質を気にしなければ、最悪スマホのカメラとソフトウェアでできなくはないのですが、印刷は病院の物を使わせてもらうわけにはいきません。

ということで、私が病院に持ち込んでいるものを紹介します。

スキャナ

自宅ではPFUのScanSnapを愛用していますが、これを病室にというとサイズも大きいし、スキャンの音も病室で聞いたら大きくて使いずらいと思われます。そこでこんな書画カメラを調達しておきました。

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この機種である必要はないのですが、このタイプは使わない時は比較的コンパクトに収納できるし、リモート勤務中のビデオカメラとして使うと、紙の上に文字や絵を書きながらプレゼンする、という使い方もできます。大学の授業でOHP(古い!)に板書する先生がいましたが、そんな感じです。

実際、入院中に息子にこれを使って算数を教えました。

プリンタ

プリンタのコンパクトさと印刷の良さは大体反比例するので、病院にピッタリってものはあんまりなさそう。最近はすごく小さいものもあるけれど、小さい印刷しかできないし、変なメーカーは最初は良いけれどインクやインクリボンのサプライが心配。そこで少しサイズは大きめだけれども、普段はロッカーにしまって使う時だけ出すということで、メジャーなメーカーの物を選択。私はこれにした。

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収納時のサイズが309×159×61(mm)ってことで許容範囲かな。カラーである必要性を感じなかったけれど、モノクロにしてもサイズはあまり変わらないのでしょう。と言うか、モノクロの製品は見当たりませんでした。

この他の選択肢としてはCanonも同じような機種を出しているのと、中華メーカーの熱転写プリンタもあって、ちょっと悩みました。熱転写はとてもコンパクトで良いのですが、インクリボンの消耗が激しいのでランニングコストが高くつくのと、将来のサプライの不安で避けたというところです。実際使ってないので、良し悪しは分かりません。

指輪型活動量計・睡眠トラッカーOURA

病院からのリモート勤務からは話が逸れるのですが、プレドニン服用のせいで眠れないことが多かったので、睡眠状況を把握しようと思い、OURA Ringというスマート・リング、つまり指輪型の活動量計・睡眠トラッカーを身につけることにしました。

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活動量計Apple Watchを身につけているので不要なのですが、Apple Watchは電池の持ちがせいぜい2日間なので、夜は充電しなければならず、睡眠トラッカーとしては役に立っていませんでした。これに対して、OURAは数日〜1週間電池が持つので、指輪をすることに違和感がなく、単機能の睡眠トラッカーだと思えば悪くないかなと思って、今回入手しました。ちなみにサイズを合わせないととても使いにくいと思うので、自分のサイズを正しく把握して購入することが大切です。私は左手の人差し指に刺しています。右手の方がフィット感が高いのですが、文字を書くときにペンと干渉してしまうことが分かったので。ちなみに、OURAのサイトで直に頼むと、サイズチェックのためのだけのリングセットが最初に届いて、試着してサイズを決め、その後本物が届くという仕組みになっています。2度海外から物が届くのを待つことになって、少し時間がかかりますが。

その他のITガジェット

その他、私が持ち込んでいるITガジェット類をリストしてみます。まあ、あまり参考にはならないですかね。完全に好みの問題なので。

  • MacBook Pro 13" Core i7: 会社の支給品。サーマルスロットリングが激しくて、ビデ会議で音声品質が悪くなったり、ビデオがフリーズするので、リモート勤務に向かない(個人の感想です)。
  • iPad Pro 11" (第2世代): これは普段使いしている。上記の理由で、テレビ会議にはビデオ・音声をこちらで繋いで、MBPでプレゼンする(ビデオ・音声に接続せず)ってな使い方です。下に書くヘッドセットもこれに繋いでいるので、音楽もYouTubeNetflixアマゾンプライムビデオもこれで見ます。だから病院のテレビ(有料)は使ってません。
  • Aterm MR05LN: 楽天モバイルUn-limited VIのSIMを入れて、常時接続。病院から毎月100GBは使っていると思う。7Gとか20Gとかの制限では生きていけない。最近の新しい病院はfree-WiFi完備が多いんですかね。私が入っている病院は患者が使えるネットワークがなくて、そこは残念。
  • Echo Buds: ノイズキャンセリング・ワイヤレスイヤホン。iPad Proと接続していて、ビデオ会議のヘッドセットしても、音楽聴くためのヘッドセットとしても使っている。空調の音の大きい病院では、耳の密閉性が高くて、ノイズキャンセリングの効果がはっきり分かる。
  • Shokz OpenComm: これもビデオ会議用。Echo Budsと真逆で、耳が空いているので、周囲の音が聞こえて良い。特に病院ではでかい声を出すと怒られるので、コントロールしやすくなります。

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さあ、退院の準備だ。これらの荷物をまとめよう!