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Ph+ALL日記

フィラデルフィア染色体陽性白血病のおじさんの記録

臍帯血からの造血幹細胞移植

2017年5月25日(水曜日)

ついにこの日を迎えた.気持ちの悪さはだいぶ取れている.前日からサンデュミュンと言う免疫抑制剤を点滴している.これは移植後も当分続く.

移植は自室で行われる.

午前中にバイタルモニタが乗ったワゴンが運ばれて来て,心電,酸素飽和度,血圧が適時自動測定できるように準備が進められる.

臍帯血は液体窒素で冷凍保存されており,解凍を始めると同時に細胞が壊れ始めるので,一連の処理はできるだけ速やかに行う.

  • 12:00から,担当医が臍帯血が入った小さなパックの解凍を開始.
  • 12:30から,CVから注射器で臍帯血を3回に分けて注入.

12:40には,移植は完了していた.

注入直後から,ほんのりと「青のり」の香りを感じた.これは臍帯血を保存している溶液が血中を周り,肺や口内で気化して感じられるものらしい.人によっては,この溶液にアレルギーが出る場合がある.

臍帯血は少量で貴重であるため,注射器や管に残った細胞を残らず体内に送り込むために,生理食塩水を使って残らず体内に送り込む.

窓越しに家族も見に来ていたが,あっという間に終わってしまった.本人にもなんの変化もない.

 

今朝の段階で,白血球500, ヘモグロビン9.6, 血小板 8900.これからどれも急激に下がっていくはず.適時輸血を受けることになる.

エンドキサン大量投与 - 造血幹細胞移植前処理(2)

2017年5月22日(月曜日)〜 5月23日(火曜日)

X線照射の影響が少し抜け始めたところで,5月22日(月)と5月23日(火)の2日間,エンドキサンという抗がん剤を大量に投与を受けた.

エンドキサンは過去にも強化地固め療法で使ったものだ.標準的なプロトコルでは,エンドキサンに加えてキロサイトも使うのだが,私はキロサイトで小脳性運動失調という重大な副作用が出てしまったので,キロサイトの使用を回避するレシピになっている.

エンドキサンの投与は,朝10時から12時の間CVからの点滴で薬を入れるだけなので,それ自体は大したことはない.しかし,その後の不快感は大変なものだった.

まずは吐き気.口の中が粘ついて気持ち悪いのだが,普段は吐きたくなるほどではない.でも時々発作的にやってくる吐き気で嘔吐せざるを得ない.食欲はとうになくっていてしばらく何も食べていないので,出てくるものは胃液だけ.でも吐かずにはいられない.ベットからすぐ手の届くテーブルの上に,あらかじめ口を広げておいたビニール袋を用意していつ嘔吐発作がきても良いように準備する.嘔吐したらナースコール.

次に排尿.エンドキサンの副作用で出血性膀胱炎になりやすくなるので,朝昼晩を問わず2時間に1回以上の排尿が義務付けられている.もし自主的に前回から2時間以内に排尿しなかったら寝ていても看護師に起こされる.排尿したら計量カップに採ってナースコール.点滴で大量の水分を入れているにもかかわらず,薬のせいで尿量が減っている.

最後に下痢.ついこの前,放射線照射を受けていた頃は便秘気味だったのに,あっという間に下痢になってしまった.一旦腹のなかの食べたものがなくなると,その後は水のような便が出るようになる.

とにかく,居ても立っても気持ち悪くて,あらゆるものを体外に出したい…という状況が5月24日(水曜日)の朝まで続いた.

 

 

放射線照射 - 造血幹細胞移植前処理(1)

2017年5月17日(水曜日)

いよいよこれから,全身に放射線X線)を浴びる処置(Total Body Irradiation; TBI)を受けに行きます.

今日・明日の2日間,午前・午後の2回づつ1時間,毎回3Gy(グレイ)でトータル12Gyの放射線を全身に浴びて,自分の骨髄を全て殺します.

γ線β線の1Gyを全身に浴びた時の体の影響を1Sv(シーベルト)と呼ぶという話だったと思うので,12Gyは12Svに当たります.年間1mSVが一般生活の基準値だったと思うので,日常生活の12,000年分の量を2日で浴びる計算になりますね.

照射は,普通のレントゲン撮影に使う機械を,通常の使い方だと胸とか腹とかといった体の一部にしか放射線が当たらないところを,もっとX線発生機と被写体である私の体との間の距離を離すことで,全身にX線が当たるようにして行います.

この距離をとために,照射は横向きで行われます.だから少し遠くにあるレントゲンの照射器に,正面(午前中)または背面(午後)を向けて,右肩を下にして横向きに寝て,1時間ほど固定されて,X線の照射を受けます.まあ,あまり快適でない日焼けサロンのようなものでしょうか.

 

1日目が終わって,自分の病室に戻ってきました.

なんとなくふわふわしたような感じがあるのと,耳の下の耳下腺(唾液腺)に触ると痛みがあります.それと関係しているのでしょう,口の中がネバネバしているのと,多少熱っぽく(実際37度前半の微熱が出ていて)体がだるい感じがしています.

 

2017年5月18日(木曜日)

2日目の朝.熱は下がって元気が出てきました.これから2日目の照射に行ってきます.

 

2日目も1日目と同じことを繰り返して帰ってきました.照射前となんら変わりないような気もするし,ふわふわするような気もする.耳下腺が触ると痛くて,口の中がネバネバしているため,吐き出したい気分.あえて付け加えると,くしゃみと鼻水が出るかな.

全く食欲がないので,夕食はスキップして吐き気どめを点滴.また熱が37.6度出たので,抗生剤を点滴.

1週間移植延期

2017年5月8日(月曜日)

連休明けの初日.だいぶ前に入れたCVの周りが直径1cmくらい赤くなっている.夕方から明け方にかけて微熱が出たり出なかったりするし,軽い頭痛がある.もしかするとCVが刺さっている首回りから細菌に感染しているのかもしれない.

ということで,一旦CVを抜いてみることにする.

明日(5/9)まで状況を見て,5/18に予定通り移植を実施するか,1週間伸ばすかを決定する.

2017年5月9日(火曜日)

CVを抜いたところの赤みは取れてきている.熱は出にくくなったようだ.炎症反応(CRPの価)も下がってきている.CVが悪さをしていたかのように見えるが,はっきりはしない.

大事をとって,移植の1週間延期を決定.

全ての日程を単純に1週間送らせる.移植日は5/25.放射線照射は5/17, 18に決定.CVは5/11に入れることにする.

骨髄検査結果

5/1に実施した骨髄検査(マルク)の結果が出ている.それを含めて,入院以来の骨髄検査での主な結果を晒しておく.

Date 有核細胞数
(NCC)
巨核球数
(MgK)
FISH% BCR-ABL IS%
2016/12/12 213000 16 NA 750000 NA
2017/1/20 24000 30 0.3 4793 2.5668
2017/2/2 13000 0 1.4 1389 1.9126
2017/3/14 4000 0 0.1 97 0.2026
2017/4/13 182000 80 0.1 56 0.1426
2017/5/1 39000 0   41 0.049

ただし,

  • 有核細胞数: 核を持っている細胞の個数 [個/ul].
  • 巨核球数: 血小板を作るもとである巨核球数の数 [個/ul].
  • FISH%: BCR遺伝子に緑,ABL遺伝子に赤の発色剤を結合させる.普通の細胞では両遺伝子が離れているため緑と赤が識別できるが,Ph染色体のある細胞では両遺伝子がくっついているため黄色に見える.この方法で観測されるBCR-ABL遺伝子を持つ好中球の割合 [%].
  • BCR-ABL: PCRによってカウントされる,BCR-ABL遺伝子の500ngあたりの個数 [個/500ngRNA].
  • IS%: PCRによってカウントされる,BCR-ABL遺伝子の個数とコントロールとなるABL遺伝子の個数の比 [%].International Scaleの略.

と理解した.IS% の検出限界は 0.0007% らしい.

移植準備

運動失調から回復してから2週間ほどはクレアチニンの数値が下がらず,治療が再開できなかったが,2017年4月17日には改善してきたので,スプリセル(ダサチニブ)の服用を再開することができた.

この間,白血病細胞が勢いを取り戻してしまっていないか心配ではあったが,副作用が出ていた間に実施した,骨髄穿刺・腰椎穿刺の結果を見ると,これまでの治療の効果はまずまずのようである.旧来の予定通り,次のフェーズで造血幹細胞移植を実施する方針となった.

この後,ゴールデンウィークを挟むため,その前に検査等を済ませ,ゴールデンウィーク明けから移植に向けた前処理を行い,2017年5月18日(木曜日)に移植を行う.

移植の1週間前には放射線照射を2日間と抗がん剤(エンドキサン)投与を2日間受ける.放射線を受けると自分の骨髄が破壊されるので,後戻りはできない.

突如,運動失調から回復

2017年3月26日に運動失調になってからの1週間は,上手に字がかける時があったり,少し喋れたりと,症状が少し改善したように期待させる状況になったと思ったら,またすぐ元に戻ったりと症状が一進一退したが,幸い,症状が大きく悪化してしまうようなことはなかった.

医師からは時々「昨日より少しよくなったようですね」などと言われるが,自覚的には大した違いが感じられず,気休めを言われているように感じられた.

これまで相部屋の同居人がいたが,私の安静度が急に高くなったので,申し訳ないことにその方は私のせいで別の部屋に移されてしまい,2人部屋を一人で独占することになった.

それからさらに1週間,体がろくに動かない中,ひたすら我慢の日々が続く.

2017年4月9日日曜日

発症から2週間.突如としてなぜか喋れるようになった.文字も不自由なく書ける.歩くのは膝が震える気がするが,どうもこれは運動失調ではなく,足の筋力が極端に落ちてしまったからのようだ.

PCを立ち上げてタイプしてみる.(別の抗がん剤の副作用で)手先が痺れていて感覚がおかしくなっていたが,そのフィードバックが今回の運動失調のせいで変わってしまったのか,タイピング中に変なキーを押してしまうことが多くて少しイライラする.しかし,時間をかければタイプもできるようだ.これでホーキング博士のインプット装置は不要になった.

まだ完全ではないが,どうやらこの運動失調は解消する方向にあるようだ.本当に良かった.あのままだと,白血病が治ったとしても,社会復帰は難しかった.

 

さて,これまで2週間,すべての白血病の治療薬を中止して,血中の抗がん剤(メソトロキセート)の濃度が下がり,腎機能,肝機能が回復するのを待っていた.まだ尿の比重が低く量が多すぎるし,クレアニチンの濃度が高い.このため運動失調の回復後もしばらくは治療薬を中止し,副作用からの回復を優先することになった.

抗がん剤の副作用が脳にきた!(続き)

前回書いたように,突如としてまともなことは何もできない状態になってしまった.

発症後,医師や看護師に入れ替わり立ち替わり,同じことをさせられた.

  • 両腕を前に突き出して目を瞑り,しばらくしてどちらかが下がってきていないか.
  • 片目で上下左右に見えないところがないか.
  • ベッドに寝て膝が立てられるか.
  • 足首が動くか.
  • 力を込めて握手できるか.
  • などなど

これらは体に麻痺がないかを調べるテストなのだと思う.幸いこれらのテストはどれも問題がない.しかし運動を統合する必要がある動作,例えば,歩行したり,発話したりがうまくできないのだ.

歩こうとすると,立ち上がることはできるのだが,力の加減がわからず,立つというよりは飛び上がるようになってしまったり,一歩の足を出せば歩幅が大き過ぎたり,左右にふらついたりと,捕まるものがないと危なくて仕方がない.

コップの水を飲もうと思っても,コップを持った手が口にこない.どこか明後日の方に行ってしまいそうになり,口の前で保持できない.

何より発話できない(ひどく呂律が回らない)のは本当に困る.認知力がなくなった人のように見えてしまう.「お・も・て・な・し」と細切れに切った言葉は喋ることができるが,普通のテンポでは言えない.「なまたまご」が言えない.「パピプペポ」「ラリルレロ」「カキクケコ」もまともに言えなかった.

しかし頭の中では以前と全く変わらず思考できている.ものを思い出すことも,言葉を探すことも,(本人による自己認識なので,客観的に正しいかどうかは不明だが)以前と全く変わりない.そのような状況で,看護師には「今日は何日かわかりますか?」と聞かれる.「3月29日水曜日」と即答するも,口はスラスラとは動かない.

続いて,以下のようなテストをやらされた.

  • 左右の人差し指で何かを指差した後,自分の鼻を指差す.
  • 左の足の踵で,右の足の膝をポンポンポンとリズムよく叩く.
  • 左右の手を裏表にひらひらと素早く振る.

こういった単純なことがうまくできない.これらは複数の筋肉を協調して動作させることが必要で,それができないことを「運動失調」と呼ぶらしい.また,その調整を行なっているのは小脳なのだそうだ.よって,どうやら私の症状は「小脳性運動失調症」であるらしい.

診断はついたみたいだが,これは治るのだろうか.治らなかったら大変だ.無事に白血病が完治したとしても,要介護の状況が残ることになってしまう.

実際,一人ではまるで何もできない.

  • 歩けないので
    • トイレにも行けない→ベッド上で尿瓶(しびん)に用を足し,看護師を呼ぶ
  • 指がコントロールできないので
    • 歯磨きもできない→コップの水を口に運ぶのも慎重にやらないとこぼしてしまう.
    • フリック入力ができない→スマートフォンも使えない
    • タイプもできない→パソコンが使えない
  • 喋れないから

このままだと,ホーキング博士みたいな専用の入力デバイスを作らないと行けなくなるなと思った.

入院中は看護師さんにお願いすれば,ある意味不自由なく過ごせてしまうのだろうが,大人の人間として,自分のことは自分でやりたいという自尊心がある.いきなり下(しも)の世話まで人に依存しなければならない,自分の生物としての能力の低下に愕然とし,涙が出た.